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あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義

憂鬱で毎日に嫌気がさした時向き編  





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                あっぱれ長屋のプラス話 第120号   

               〜 行き詰まっても生き詰まらない方法 〜       
                                    2011. 3. 3  
   


  くるり                     
   みなさん、あけましておめでとうございます!
   今年もよろしく!
   え?もう3月ですって? 
   いいんですよ。
   私の暦では、今がお正月なんです。
     
  ぼた衛門
   こらくるり!
   都合のいいように、
   暦を変えるなど言語道断!
      
  くるり
   まあまあご隠居、年明け早々、
   そんなに怒鳴らないで。
   皆様、今年最初のお江戸あっぱれ長屋からのお客様は、
   おめでた屋のご隠居、棚ぼた衛門さんですよ。
   あっぱれ長屋の大家でもありますから、
   年明け一弾、縁起良くめでたく盛り上がりましょうね!
    
  ぼた衛門 
   こやつ、どこまでも年明けで通すつもりじゃな。
   だが、おまえの勝手暦に合わせてやったとしても、
   相も変わらず自ら命を絶つ者が3万人以上のままでは、
   めでたいなどと喜んでいられるか。
   この年も、またそれだけの人間が、
   むげに命を捨てていくかもしれんのじゃぞ。
   そんな状態を今年も続ける気か!
     
  くるり
   めでたくって言ってるのに…。
   それに続ける気かって言われても、
   私が続かせてるわけじゃないし。
     
  ぼた衛門  
   違う時代のわしらが心配してるのに、
   同じ時代のおまえが、
   そんな無関心とは何事じゃ!
   それだから減らないんじゃ!
   本当におまえは変わらんの。
  
  くるり
   だけど、私を叱るより、
   自殺を考えてしまってる人を直接叱って、
   目を覚まさせてあげればいいでしょ。
  
  ぼた衛門
   わしだって、
   そうしたいんじゃ。
   だが、嫌でも、
   おまえのとこにしか
   来られない、
   嫌でも、
   おまえにしか会えないんだから、
   仕方ないじゃろう。
    
  くるり
   どこか引っかかる気がするような…。
   あ、でもそうなると、
   私を叱るのも嫌々ってわけだ。
    
  ぼた衛門
   いや、それは喜んで。
    
  くるり
   ご隠居も変わらんの。
    
  ぼた衛門
   そもそも、間違っているのは、
   死にたくなった時こそ、
   死を真剣に考えねばならぬのに、
   そこで、生きることを考えちまうから、
   だめになるんだ。
    
  くるり
   変わらないと思ったけど、
   呆けてきてる。
    
  ぼた衛門
   失礼な。
   いいか。
   絶望した時に死にたいと思うのは、
   この先、この辛さと共に生きていくことを思うから、
   死にたくなるんじゃ。
   つまり、生きることを前提に考えるから、
   死にたくなる。
   なら、逆にそういう時は、
   死を前向きに見つめればいいってことじゃ。
    
  くるり
   だから、
   死にたい時に、
   死を前向きに見つめてしまっては、
   まずいでしょ。
    
  ぼた衛門
   自死するために、
   死を見つめるのは、
   後ろ向きと言うんじゃ。
   前向きにというのは、
   自分の人生においての死のあり方を、
   見ることじゃ。
   自分を自分で殺す。
   人生でたった一つの死を、
   そんな形にしてしまって、
   心残りでない人間がいるか?
   くやしくない人間がいるか?
   満足できる人間がいるか?
   喜べる人間がいるか? 
   納得できる人間がいるか?
     
  くるり
   だけどそれでも死にたいって思ってしまうほど、
   本人は辛いんだよ。
     
  ぼた衛門
   最初の頃にわしが言ったこと覚えてるか。
   生を受けた以上、死なねばならぬ義務はあっても、
   権利はないと。
   死が権利として存在したら、
   命が軽々しいものになってしまうと。
    
  くるり
   でも、いいこともあるよ。
   権利を使わないでいれば、
   ずーっと生きていられるから、
   逆に命を大切にし続ける人も増える。
    
  ぼた衛門
   誕生は死あってこそ、死は誕生あってこそ。
   それが自然の摂理じゃ。
   ということは、
   死が仮に権利という形で存在したとしても、
   ずっと使わないでおくということは許されぬ。
     
  くるり
   え、その権利って、有効期限付き?
   なら、結局最後は義務になるんだ。

  ぼた衛門
   その義務が自分の意志によるか、
   よらないかの差じゃ。
       
  くるり
   となると、権利だったら、
   誰もが自分で死を決めなくてはならなくなるわけ?
   ひぇー、それは嫌だ。
   年とるほど、追い詰められて、
   生きてることが楽しめなくなる。
  
  ぼた衛門 
   それでわかるじゃろう。
   死が自分の意思とは無縁であるおかげで
   命あるものは、
   いつか必ず来る死のことなど考えずにすんでいる。
   だから、安心して生きていかれるんじゃ。
  
  くるり
   自殺を考えるというのは、
   権利で死ぬ世界になってしまうんだね。
   なら、よけい辛く、
   不安定になってしまうよ。 
    
  ぼた衛門
   そのとおり。 
   死ぬ気だったら、
   もう現世の苦悩は関係なくなるはずなのに、
   心が苦しいままなのは、そのためじゃ。
   煙から逃れるために、
   火の中に逃げ込むようなもんじゃ。
    
  くるり 
   でも、その時は、
   たとえ死ぬという方法でも、
   煙の苦しみから逃れられれば、
   と思ってしまうんだよ。
    
  ぼた衛門
   苦しくても生きていれば、
   逃げられる。
   だが、火の中に飛び込んでしまったら、
   元も子もない。
   それと同じで、
   苦脳は生きていれば、
   幸せにも変えられる。
   だが、放り出して死んでしまったら、
   それまでの人生の中にあった幸せまで消えるほどの
   最悪最強の不幸になってしまう。
   それが証拠に、
   自分で命を絶った人生とあらば、
   それまでがどんなに恵まれ幸せな人生だったとしても、
   不幸な一生になってしまうじゃろうが。
   
  くるり
   でも、
   死んでしまえば、
   そんなことはもう関係ないと
   思ってしまうんだよ。
    
  ぼた衛門
   人間の意思を超えたところにある死を、
   無理やり引き出して、
   めちゃくちゃにし、
   周りの人にも悲しく辛い思いをさせて、
   迷惑をかけて死んでいく。
   自分の人生をそんな事実として残しても
   死ねばもう関係ないと言うか。
   そんな簡単なものではないぞ。 
   生ききれなければ、
   死にきることもできんのじゃ。
      
  くるり
   なんだか、
   21世紀ではもう死んでる人にそう言われると、
   真実味があるなあ。
    
  ぼた衛門
   だから、
   わしは、たまたまここに来てるだけで、
   江戸でまだ生きてるところなんじゃって。
  
  くるり 
   でも、死しか見えなくなってしまったら、
   もうどんな言葉も心に入っていかなくなるんだよ。
     
  ぼた衛門
   どうでもいいけど、
   おまえ、さっきから、
   でもでもって、なに理解を示してるんじゃ。
   おまえの方こそ、
   死んでもいい、
   と言ってるみたいじゃ。
   行き詰まる、いや生き詰まるところまで
   行ってしまう心境を推し量るだけでは
   解決にならん。

  くるり
   それはそうだけど、
   どんなに力になりたいと思っても、
   他の人間にできることは、
   落ちた穴に、
   はしごをたらして、呼びかけることだけ。
   他の誰も入っていかれないその穴から
   上ってきてくれるかどうかは、
   本人次第。
        
  ぼた衛門
   一番いいのは、
   当然ながら、
   どん底に落ちる前に、
   自分で気がつくことじゃ。
   そこで助言になるかはわからぬが、
   一つ、言っておこう。 
   これは、そんな深刻な事態でない場合でも、
   言えることじゃから、
   おまえも判断基準とするがいい。
   人間が鬱々とした気分に陥っていくのは、
   必要のないことを考えている時、
   と相場が決まっておるんじゃ。
   心が沈んでも、
   普通は時間がたてば回復する。
   なのに、いつまでも回復しないとか、
   なお苦しく辛くなっていく、
   という場合は、
   まず間違いなくそうなっている。
   それを知っておれば、
   早い段階で、考えどころが間違っていると
   気がつける。
  
  くるり
   必要のないことって、
   具体的にはどんなこと? 
    
  ぼた衛門
   たとえば、恋、対人関係、家族のことみたいな、
   人に関する悩みは、
   相手が自分の望む状態でないことから生まれてくる。
   だから、相手が変わらない限り、
   悩みも続く。
   健康、借金、災いなど、
   不本意な事実から生まれる悩みならば、
   どうしてこんなことに、こんな目に、
   という思いから抜けられず、
   心が疲弊していく。 
   そこで、
   相手や事実が変わることを望むが、
   それは、いくら自分が変えたい、
   変えようとしても、
   変わるものではない。
   つまり、考えても仕方ないことであって、
   そもそも考える必要がないことじゃ。
   だが、一番そこに囚われてしまう。

  くるり
   変えられないものを
   変えたいと望むばかりに、
   変わらない状態に苦しみ続けてしまうんだ。
   では、なにを考えたらいいの? 

  ぼた衛門
   変えられること。
   つまり、自分じゃ。
   困難の元ではなく、
   困難の中の自分に目を向け、
   自分がどう変わり、どう動くか、
   どう動き、どう変わるか、
   ということを考える。
   
  くるり
   その結果、死を選ぶということもありうる。   

  ぼた衛門
   いや、それならば、
   いくら悩んでも死には向かわない。
   困難にばかり気をとられれば、
   自分を見失う。
   だが、きちんと自分と向き合っていれば、
   見失う心配がないから、
   常に自分と対峙し、自分を励まし、
   冷静に困難に立ち向かっていかれる。
   きちんとした前向きの人生の形になっているから、
   自分の動き方、変わり方で得られるものを
   吸収するのが忙しくて、
   死を考えてる余裕などない。
   
  くるり
   私が、
   絶対に変えられない暦に対して、
   開き直って、
   自分の暦で通すことにしたのも、
   いい例になるね。

  ぼた衛門
   例にするな。
   ともかく、それを知っていれば、
   自殺まで考えるところまで行ってしまっても、
   今、自分は最も必要のないこと考えてる、
   と気がついて、戻ってこられる。 

  くるり
   でも、
   そこまで行ってしまったら、
   もう変われる気力も、
   生きる意欲も失っている状態だから、
   そう簡単には行かないよ。
   
  ぼた衛門
   生きる意欲というものは、
   どんなに落ち込んでしまっても、
   生きてる限りは絶対に失うことはない。
   あるのに
   見えなくなってしまうだけじゃ。   
   だからこそ、
   運良く事態が好転するなどして、
   苦脳が解消すれば、 
   たちまち頑張って生きる気になれるんじゃ。
   だが、そうなった時に、
   死がやってくることもある。

くるり
   そんなこと、ありえない。
   …わけはないか。

  ぼた衛門
   死にたいからといって、
   命があるのに、
   死を選ぶことはできても、
   生きたいからといって、
   命がないのに、
   生き続けることは、
   絶対にできんことじゃ。
   命とは、死とは、
   そういうもの。
      
  くるり 
   命は、本当に粗末にしてはいけないね。
       
  ぼた衛門
   だから、命を与えられている時間を、
   大事にせねば。
    
  くるり
   そうだよね。
   ご隠居だって、
   残り少なくなってるとはいえ、
   命のある江戸では、
   人望もあって活躍できてる人間だけど、
   死んでもいないのに、命がない時代に来てしまうと、
   人間でもない、亡霊でもない、化け物にもなれない、
   ありえない、得体の知れない、
   わけわかんない存在になってしまうんだから。
     
  ぼた衛門
   よくもまあ並べてくれたの。
   まあ、我々がこんなくるりに
   悩まされながらも、
   おかしくならないのは、
   くるりが立派な人間に変わってくれるなぞ、
   期待してないからできること。
   なにがなんでも、
   変わってほしい、変えてみせると
   意気込んでたら、
   江戸のあっぱれ長屋では、
   みんな原因不明の気鬱の病に
   かかっておるわ。
   
  くるり
   そういえば私も、
   口うるさいなあとは思っても、
   筋金入りの江戸っ子たちを変えることなど、
   絶対に無理と思って、
   あきらめの心境で、聞き流してきたんだよ。
   だから、鬱にならないですんでるんだ。
    
  ぼた衛門、
   これからも絶対に期待せんでおこ。   
   
  
     
    

 (発行マガジンより、本文のみ掲載しております。)

    
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