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あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義

 気分がのらない時向き編  





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              あっぱれ長屋のプラス話 第114号   

               〜 冴えない気分は自己愛から 〜       
                       2009. 8. 11 
                         



   くるり
   みなさんこんにちは。
   今日のお江戸あっぱれ長屋からのお客様は、
   易者どう造さんのおかみさん、
   おはぎさんです。
  
  はぎ
   こんにちは。久しぶりだね。
   どうしたんだい、
   人の顔をじっとながめて。
  
  くるり
   久しぶりのおはぎさんだけど、
   なんか雰囲気が前と違う気がする。
  
  はぎ
   どんなふうに違うんだい?
  
  くるり
   神々しい感じがするよ。
   ひょっとして、
   今日は江戸で生きてるおはぎさんではなくて、
   仏になった後のおはぎさん?
  
  はぎ
   人を殺さないでおくれ。
   だいたい仏が、たすきがけで来るかい。
   それに仏だったら、
   くるりに私が見えるわけがない。
  
  くるり
   では、本当に、
   世俗の垢にまみれてる、
   いつものおはぎさん?
  
  はぎ
   そんな汚らしそうな言い方されたら、
   はいとは言いたくないけど、
   そうだよ。
   でも、そんなに変わってるとしたなら、
   寝たきりのお年寄りの看病をしてたおかげで、
   一皮むけたのかもしれないね。
   
  くるり
   寝たきりのお年寄りって?
  
  はぎ
   うちの亭主の遠い親戚にあたる人なんだよ。
  
  くるり
   へえ。
   他の人はもちろん、
   どう造さんも茶さじ郎ちゃんも、
   そんなこと一度も言わなかった。
  
  はぎ
   特に、あえてここで言うことでもないもの。
  
  くるり
   まあそうかもしれないけど、
   遠い親戚の面倒をみるなんて、
   なかなかできないよ。
   どのくらい遠いの?
  
  はぎ
   うちの亭主のいとこの嫁ぎ先の
   お姑さんの妹のだんなの弟の奥さんの
   兄さん。
  
  くるり
   それって、あまりに遠すぎて、
   すでに親戚にも入ってないと思うんですけど。
  
  はぎ
   そうかもしれないけど、
   近い人は皆故人となって、
   たった一人いた息子も行方知れずとなれば、
   面倒見てあげたいじゃないか。
  
  くるり
   もしかして、その人財産持ってるとか。
   
  はぎ
   どういう意味だい。
   そんなものがあったら、
   それこそ財産目当てと思われて、
   かえって引き取れないじゃないか。
  
  くるり   
   よくぞ言った!
   ほめてつかわす!
   
  はぎ
   おまえこそ、誰になってるんだい。
  
  くるり
   おはぎさんが神々しくなったのは、
   その立派な心栄えのお蔭だよ。
  
  はぎ
   立派な心栄えなんて、とんでもないよ。
   ご隠居のご好意で、
   長屋の空き部屋に入れてもらって、 
   軽い気持ちで引き取ったはいいんだけどね、
   そのおじいさんは体が自由に動かせないし、
   おしももしょっちゅう汚して大変なんだよ。 
   とんでもないことを引き受けてしまったもんだ、
   って後悔したのが、実は正直なところだったんだから。
   
  くるり
   でも、ほとんど他人を引き取っての看病、
   ってことだけでもいいことしてるからえらいよ。
  
  はぎ
   面倒みるといっても、
   心のこもったお世話ができなければ、
   いいことしたことにはならないよ。
   ある日も、苦労してようやく着替えさせたとたんに、
   おしもを汚したことがあってね。
   そんなことは、それまでも何度もあったんだけど、
   そのときは、またかと思ったら、
   もうどうでもよくなってしまったんだよ。
   で、気がつかないふりして、
   洗濯物を洗いに行ってしまった。
   こんなだからね、えらくもなんでもない。
  
  くるり
   疲れがたまってたんだよ、きっと。
   寝たきりの看病は、21世紀になっても、
   大変なことに変わりないんだから、
   江戸時代だったら、なお大変だよ。  
   
  はぎ
   でもね、汚れ物を洗っていたら、
   茶さじ郎のおしめを洗っていた頃を思い出してきたんだ。
   あの頃だって換えたとたんに、
   すぐ汚されることもあった。
   でも、腹もたたなければ、
   そのままにしておくこともしなかった、
   いやできなかった。
  
  くるり
   子供に対する母親の愛情とは、
   比べものにならないよ。
   愛情量が違うもの。
   
  はぎ 
   いや、違っていたのは、
   量ではなく質。  
   自分の子の時は、
   「おしりが汚れたままでは、
    気持ち悪くて可哀想だ」
   と思えるから、
   すぐ換えてあげられたんだね。
   つまり、相手の身になった考えをしている。
   まさに慈愛という愛情。
   でも、その時の私は、
   おじいさんに対して、
   「自分がまた汚ない思いをするのが嫌だ」
   という思いが先に来てしまっていたんだ。
   つまりこちらは自己愛になっていた。
   かたや慈愛がたっぷり、かたや自己愛がたっぷり、
   という状態だったんだね。
   
  くるり
   慈愛と自己愛の差か。
  
  はぎ
   そして、自己愛たっぷりになった結果、
   憂鬱になっている自分がいる。
   そうか。
   ということは、
   茶さじ郎に対した時と同じ考え方、慈愛に
   すればいいんだ。
   「おじいさんも、おしりが汚れたままでは、
    気持ち悪くて可哀想だよ」
   ってね。
   すると不思議だね。
   ぱっと体が動いていたんだよ。
   相手の身になったとたんに、
   嫌だと思ってたことが嫌でなくなった。
   相手の身になったことで、
   自分のこととして捉えられるようになったんだね。
  
  くるり
   わかった。
   おはぎさん、そこで慈母観音になったんだ。
  
  はぎ
   畏れ多いことをお言いでないよ。
   観音様に失礼だ。
  
  くるり
   姿形は失礼かもしれないけど、
   心栄えは大丈夫。
  
  はぎ
   妙なほめ方、いやけなし方?
   でも、それを言うなら、
   慈母観音は私ではなく、
   おじいさんだよ。
   迷惑かけたくないのにかけてしまう情けなさ、
   体が自由に動かせないもどかしさ、
   一番つらいのは、おじいさんだよ。
   そんな思いを抱えたつらい身になって、
   自己愛にとりつかれた私から、
   慈愛を引き出して、
   目覚めさせてくれた。
   私にはそう思えてきたんだよ。
   おかげで、
   自己愛に囚われていたために、
   憂鬱になっていたところから開放されて、
   楽になれた。
  
  くるり
   慈愛は、結果的に自愛にもなるんだね。
  
  はぎ
   そうだよ。
   だけどたいていは自己愛を自愛と勘違いしてるんだ。
   不満を持ったり、腹をたてたり、
   憂鬱になったりしてる原因をたどっていくと、
   結局、自己愛から出ているんだよ。
   自愛だったら、
   まず、そうはならない。
   見分けるのはそこだね。
   
  くるり
   自我を捨てるというのも、そういうことかな。
   でも、それがむずかしいのは、
   自分を後に置いて、
   人の立場になってばかりいると、
   自分の存在価値を見失いそうな気がして、
   不安になってくることがあるからだよ。
  
  はぎ
   出たね、自我の塊のくるりの持論が。 
   だけど、
   自我をなくすことと、
   自分をなくすことは、ちょっと違うよ。
   それが証拠に、
   自我のない人と、
   自分のない人では意味が違ってくるじゃないか。
   むしろ、自分をしっかり持ってないと、
   相手の身を自分の身に置き換えて、
   自分の我をなくすことはできない。
   だから、人を優先した考え方ばかりして、
   自分の存在価値を見失う心配なんてどこにもない。
   
  くるり
   やはり、おはぎさん、
   人間がひとまわり大きくなったね。
  
  はぎ
   今までは小さかったってことかい?
  
  くるり
   い、いえ。
   でもそうなると
   これからはあまりゆっくりしていけないね。 
   
  はぎ
   もう今はする必要がなくなったから、
   ここへも久しぶりに来られたんだよ。
  
  くるり  
   え!まさか?
  
  はぎ
   違うよ、安心おし。
   実はね、行方不明になっていた息子が
   どこかで噂を聞きつけて、 
   現れたんだよ。
   これも病気になったおかげだって、
   おじいさん、そりゃあもう喜んでたよ。
   そうしたら、不思議なもんで、
   どんどん元気になってきてね。
   今は、息子が引き取って、
   これまでの親不幸のお返しにと、
   親身に世話してる。
   息子も、おじいさんから受けてきた慈愛に、
   ようやく気がついたんだね。
   このあいだ、様子見に行ってみたら、
   動かなかった体まで、
   少し動かせるようになってきてたよ。
   やはり親子の絆の力に勝るものはないね。
  
  くるり
   親身って、親の身って書くくらいだから、
   親の慈愛は格別で、
   その慈愛を返すことは、
   それを受けた子供にしかできないことなんだね。
  
  はぎ
   どうやら、くるりも慈愛に目覚めたようだね。
   私もね、
   うちの亭主に言ったんだよ。
   もし、あんたが寝たきりになっても、
   慈愛たっぷりで面倒をみられる自信がついたから、
   大丈夫だよって。
   そしたらね、
   そんなに慈愛があるなら、今からくださいだって。
 
   

 
     
 (発行マガジンより、本文のみ掲載しております。)


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