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あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義

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              あっぱれ長屋のプラス話 第60号   

                〜必ずあるよい報いの力〜              
                                   2006. 1. 18   




  くるり
   みなさん、こんにちは。
   ちょっと遅めのご挨拶ですが、
   今年もよろしくお願い申し上げます。
   さて、今年初のお江戸あっぱれ長屋からのお客様は、
   大家のぼた衛門さんのおかみさん、おふくさんです。
  
  ふく
   こんにちは。
   みなさん、今年もよろしく。
   くるり、今年の抱負は決めたのかい?
  
  くるり
   決めたよ。
   「一日一膳!」
  
  ふく
   それって、一日一善をもじったのでしょ。
   21世紀では、もう使い古されているらしいよ。
  
  くるり
   教えてもらわなくてもわかってるって。
   でも、これでいいの。
   一日一膳しか食べないってことだから。
  
  ふく
   そんなに生活困ってるのかね。
  
  くるり
   そうじゃなくて、やせるため。
  
  ふく
   なに、贅沢なこと言ってるんだろうね。
   おまんまを食べられるのはありがたいことなんだよ。
   ありがたく食べて、
   その分きちんと身体を動かして働けば、
   太るわけないの。
   そんなくだらない抱負は、
   とっととやめて、
   「一日一善」のほうにしときなさい。
   はい、決まり。
  
  くるり
   人の抱負を、勝手に決めるか。
   でも、一日一善の義務感にとらわれたら、
   偽善になってしまうこともあるから、
   一月一善くらいでいかがでしょう。
  
  ふく
   あのね、くるり。
   あんたがそう考えるのは、
   善行は、大変なもの、人のためにやるもの、
   と思っているからだよ。
   「情けは人のためならず」
  
  くるり
   でもね、おふくさん、
   21世紀では、その諺の意味を、
   「情けは、その人のためにならないから、
   下手にかけてはいけない」
   って思ってる人が、わりといるんだよ。
   この諺考えた人は、
   きっと「言葉が足りなかったな」って思ってるね。
  
  ふく
   この諺ができた時には、
   そんな自分に都合のいい解釈する人間が
   いなかったっていうことだよ。
   昔の日本人は、そう聞いて、すぐに、
   「そうか、人に情けをかければ、
   よい報いとして、必ず自分にかえってくるものだから、
   自分のためなんだ。」
   って、思うんだよ。
  
  くるり
   でも、その考え方だって、
   打算的、偽善的っぽくない?
   そもそも、善行で徳を積むっていうのだって、
   徳という見返り期待してるようだし。
  
  ふく
   それは、「よい報い」の解釈の仕方を間違えてるんだよ。
   くるりは、徳ではなくて、
   損得で考える「よい報い」という見方をしてるから、
   そういうふうに思えるんだ。
   だいたい、そういう形での見返りは、
   必ずかえってくるという保障はないじゃないか。
   なのに、それを求めるから、
   腹を立ててみたり、
   面倒だとか、大変だとか、損したとか、
   そういう気分にもなるんだよ。
   そうではなくて、
   ここでいうよい報いとは、
   必ず返ってくるもの。
  
  くるり
   そんな報いがあるの?
  
  ふく
   もちろん。
   まず、善行とは、
   自分と人のためになる行動をすること。
  
  くるり
   そういう場合もあるけど、
   自分のためにならなくても、
   人のためになれば、
   それも善行でしょ。
  
  ふく
   まあ、最後までお聞き。
   人のために何かしてあげてる時の人の顔っていうのは、
   優しい、いい顔をしているでしょう。
   心が満たされている状態だからだよ。
   自分の存在意義を感じられ、
   心が安らぎに満ちている状態。
   だから、いいことをした後っていうのは、
   心がすっきりして気持いい。
   つまり、そういう心持になれるということが、
   必ずあるよい報い。
   
  くるり
   なんだ。
  
  ふく
   何が「なんだ」だね。
   それでいけば、
   人のためだけになることをした時も、 
   しっかりよい報いは、受けているんだよ。
   対して、損得でものごと考えてれば、
   偽善や打算も入り込むし、
   心で面倒だとか嫌だとか思いながらしているかもしれない。
   そんな状態では、
   心の充実感は得られない。
   つまり、必ずあるよい報いはない。
   
  くるり
   それでも、心の充実より、やっぱり見える形の得のほうが、
   嬉しいって人もいっぱいいるよ。 
   あっ、でも、私は、そんな見える形での見返りは
   期待してないけどね。
  
  ふく
   でも、一月一善なんて言うってことは、
   そこまで人のことにかまってられないと
   思ってる打算があるんだ。
   自分が幸せな気持になれることなんだとわかってれば、
   そんな言葉が出てくるわけないよ。
  
  くるり
   あ、そ。
  
  ふく
   なんだい、その気のない言い方は。
   やな感じだね。
  
  くるり
   では、そういう心にさせてくれてありがとうって、
   逆にお礼言わなくてはならないんだね。
   あれ?あっ、そうか!
   むふふ…。
  
  ふく
   その笑い、今度は何かろくでもないこと考えついたね。
  
  くるり
   だったらさ、何かしてあげて感謝するより、
   何かしてもらって感謝されるほうが、
   得じゃないの。
   お世話になりっぱなしでも、
   自分が人様の善行のお役に立ってるのだから、
   これも立派な善行。
   心苦しく感じることもないんだ。
  
  ふく
   まったく、損得で考えて自分に都合のいい解釈をするのが、
   骨の髄までしみ込んでるね。
   恩を受けるだけでは、
   人のためにやる部分はあるかもしれないけど、
   自分が行動する部分がないじゃないか。
   
  くるり
   うーむ、惜しかったな、くるり。
   あっ、そうか。
   恩を受けてばかりだと、心苦しくなるのは、
   受けた恩の分だけ、行動で返さないといけないからだ。
  
  ふく
   それも、目に見える形の感覚で考えてるから、
   そういう借金みたいな考えになるんだよ。
   恩を返すのは決して義務ではない。
   その人の気持の問題でしょうが。
   自分が困ったとき、人様から恩を受けると、
   どこかで恩を返したいとか、
   同じように困った人を見たら助けたいとか、
   そういう気持になって行動ができる。
   それは、心が、自然に、
   善行の釣り合いをとろうとしてるんだよ。
   だけど、おまえみたいに、我が強いと、
   自分に都合のいいところだけ受け取って、
   その働きが阻害されてしまう。
  
  くるり
   あ、そ。 
   
  ふく
   だから、いくら、図星をさされたからって、
   その言い方はおよし。
   耳に痛い言葉をそんな気持ちで受け取ってたら、
   人間、前向きになれないよ。 

  くるり
   あー!ひらめいた!
   
  ふく
   何かまたよからぬ事を考えたね。
   
  ふく
   いや、「前向き」で、今度は悟ったんだよ。
   あのね、善行で自分が充実した気分になって、
   存在価値も感じられたら、
   気持も前向きになるでしょ。
   「前向」も「ぜんこう」って読めるじゃない。
   ここにも何か昔の人の意図があるでしょ!
  
  ふく
   そりゃ、ただの偶然だと思うけどね。
  
  くるり
   あ、そ。
  
  ふく
   また出た。
   そんな言い方を口癖にするんじゃないって。
   でも、人間、善行ができるということは、
   前向きな状態になっているのは確かだよ。
   逆に、善行をすることで、
   前向きになれることもあるくらいだ。
   そして、前向きの状態なら、運を呼び寄せる力も強い。
   だから、目に見える形で恩が返らなくたって、
   自分で目に見える形の見返りにしてしまうくらいのことはできる。
  
  くるり
   そうか。
   見える形で欲しけりゃ、
   自分で生み出してしまうってのもありか。
   いつも自然に善行ができる人が強いのは、
   自分で自分に力を与えてるからだ。
   
  ふく
   自分ができることを人のためにやってあげ、
   自分にできないことは人にやってもらう。
   みんながそうして、助け合って、
   自分の存在価値を知り、
   どんどん心を充実させて生きていくのが、
   本来の世の仕組なんだよ。
   善行とは、頑張ってするものでも、
   張り切ってするものでもない。
   人間らしい心に基づいた行動をすることに過ぎないんだ。
   本来は、当たり前のことが、
   特別のことみたいになってしまってるだけでね。
  
  くるり
   わかった。
   ようし、予定変更。
   今年はまず「一日十膳」を
   こなしていきます。
  
  ふく
   だから、「膳」ではなく「善」だってば。
  
  くるり
   わかってるよ。
   でもその前に、一日十膳は食べて、
   身体を充実させとかないと、
   どんなに善行を積んでも、
   私の心は充実しないからね。
  
  ふく
   あ、そ。

 (発行マガジンより、本文のみ掲載しております。)


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