
あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義



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あっぱれ長屋のプラス話 第66号
〜「しなくてすんでる」だけかもしれない〜
2006. 5 .19

くるり
みなさん、こんにちは。
今日のお江戸あっぱれ長屋からのお客さまは、
浪人の親又天之太助さんです。
天之太助
みなさん、お元気でしたか。
天之太助です。
くるり
天さんも、だいぶ武士らしさが抜けたけど、
お家再興命のお母上の前では、
完全に武士風からの脱皮はできないんだろうね。
天之太助
母上がお見えになってるときに、
町人言葉を使おうものなら、
親又家の由来から延々と始まるからな。
くるり
親又家って、上級武士の家系なんでしょ。
ご先祖さまの努力で、
そこまで盛り立てたんだから、
ご先祖さまに申し訳がたたないってのもあるんじゃないの。
天之太助
戦国の世の努力ってのは、
戦で人を殺して、
戦功をたてているということだぞ。
くるり
そうだけど、かといって、
ご先祖さまをないがしろにしてもいけないし。
天之太助
もちろん、私は尊敬している。
戦国の世に生まれたばかりに、
人殺しで出世をしなくてはならなかったわけで、
好きで人殺しをしたわけではないだろうからな。
くるり
天さんは、平和の続いた江戸で良かったね。
おまけに、武士を捨てる巡り合わせにもなったし。
天之太助
そこだよ!!
くるり
わっ、びっくりした!
天之太助
もし戦になれば、武士だったらもちろんのこと、
武士を捨てていても、
戦場に行く巡り合わせになるかもしれぬ。
そうなれば、人を殺めねばならぬ。
くるり
天さんは、人殺しの戦功より、
人殺しをしないほうを選んで、
適当にごまかしてる気がするけどね。
天之太助
だが、戦場では、
いくらそうしたいと思っていても、
もし自分がやられそうになれば、
人殺しにならざるを得ない。
くるり
それって、必ず自分が勝つ、
という前提の話になってるよ。
天之太助
あたりまえだ。
そう簡単に殺されてたまるか。
って、誰だって思うだろ。
人殺しするくらいなら、
自分が殺されたほうがましと言ってる人でも、
いざ襲われそうになれば、
本能的に我が身を守ろうとするもんだ。
くるりだって、人殺しはしないと思ってるだろうが、
そういう場面に遭遇したとき、
無抵抗で殺されることができるか。
くるり
できない。
天之太助
まあ、おまえなら、
できないと言ってもやられるだろうけどな。
くるり
なんですと?
私はなんとしても生き残る。
天之太助
ほら、それが、普通の人間の本能だよ。
だから、望まなくても人殺しをしてしまうことも起こりうる。
それが戦だ。
くるり
どうでもいいけど、
今日は、物騒な話だね。
人殺しがやむないときもあるという、恐ろしい話?
天之太助
そんな恐ろしいことを、言うわけないだろ。
人殺しとか、人を傷つける行為はしないのが、
人間としてあたりまえのことだ。
だから、ほとんどの人は、間違ってもしないはず。
だが、それは自分の自制心の力だけで、
保たれてるとは限らないってことを言いたいんだ。
「自分はしない」のではなくて、
「自分はしなくてすんでいる」ってこと。
くるり
もっと、恐ろしい話になってる。
天之太助
自分が殺されそうになったとき、
とっさに相手を殺めても身を守ろうとするのと、
信念がゆらぐことなく無抵抗で殺されるのと、
どちらが人間の自然な行動かを考えたら、
自分がどれほど危ういものかがわかるだろ。
理性より、殺らねば殺られるという本能のほうが勝る状態に
なってしまうんだ。
戦が狂気を呼ぶのも、理性ある状態ではできないからだ。
くるり
確かに、21世紀になっても、
人の道より、自分の命を守ることを優先しなくてはならないところが、
あることは事実だけど。
天之太助
戦とは無縁の世界にいるからこそ、
人殺しが恐い話と感じるんで、
そういう平和で健全な感覚が持てるということ自体が、
幸せなことだ。
自分が人殺しをする人間でないことを喜ぶ前に、
そういうことに遭遇することがないことにも、
感謝しなくてはならない。
人の道として
「してはならない」
という行為は、
やろうと思えばできる行為だからこそ、
してはならないとなるのだ。
くるり
でも、なんだかそうなると、
自分というものが信じられなくなるんですが。
天之太助
そういうことではなくて、
人格や成功やそういった自分が積み上げたと思うものの中には、
自分の力以外の要素が必ずあるってこと。
全部自分の力で築き上げたと思ったら大間違い。
たまたま自分がおかれた環境、
人の助け、運、めぐりあわせなどの要素は必ずある。
だから、慢心するなってことだ。
くるり
でも、やっぱり、
自分は人を殺さないのではなく、
殺さずにすんでいるだけというのは、
恐ろしいんだけど。
天之太助
じゃあたとえばだな、
家畜や農作物に虫がついたら、
虫を殺すだろ。
殺すのは嫌だと思ったとしても、
虫の命より、家畜や農作物の命を優先すれば、
殺さざるを得ない。
そうして守った家畜や農作物の命を、
今度は人間の命のために殺す。
すべては、人間の食べるという本能ゆえだ。
それをしたくないとなれば、
食べることをやめるしかない。
でも、そうなったら、人の命は終わる。
くるり
本能って、確かに自分の命を守るために、
ほかの命を奪ってるね。
天之太助
本能は、常に自分の命をつなぐために働くものなんだ。
ただ、戦の場合は、命をつなぐためには不要なものということだな。
その不要なもので、本能が働いてしまうから、恐ろしいのだ。
くるり
不要なものだから、
なくすこともできるはずなんだけどねえ。
天之太助
さっき言った、すべてが自分だけの力ではないことを意識して、
慢心しなければ、戦など起こりえない。
戦は、欲望がむき出しになった、最たるものだ。
そこには、自分のほうが正しい、自分のほうが強い、
だから自分の欲望を優先する、と考える自己過信の驕り、
すなわち慢心がある。
だから、戦になる。
くるり
かといって、それがわかる人ばかりではないもんね。
そうだ!
だったらそれこそ、してはいけないと言うよりも、
する必要がない状態を目指したほうが早いかも。
天之太助
それは、いろいろなところに応用できるやり方だな。
たとえば、くるり、
おまえは、食べすぎると太ると思いつつ、
食べ物を前にすると、つい本能が働いて食べてしまうだろ。
だから、太るから食べてはいけないというより、
太る必要がない環境を目指せ。
わしらと同じ食生活をし、同じように体を動かせば、
太るわけない。
お前の場合は、慢心というより満身だな。
くるり
お言葉ですが、満身とは、
間違っても身がはちきれそうなことではないです。
天之太助
はちきれてるという意味では、一言も言っておらぬぞ。
おまえが、今、自分で言ったんだ。
くるり
うっ、はめられたか。
と、とにかく、満身は体中とか全身を表す言葉で、
満身創痍などのように使うものです!
天之太助
だから満身総胃だってば。
(発行マガジンより、本文のみ掲載しております。)
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