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あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義

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               あっぱれ長屋のプラス話 第88号   

                  〜 軽蔑は隠れ蓑 〜       
                                    2007. 8. 24    
 

  

  くるり
   みなさん、こんにちは。
   今日のお江戸あっぱれ長屋からのお客様は、
   大家の棚ぼた衛門さんです。
   ようこそ、お越しくださいました。
  
  ぼた衛門
   こりゃまた、ずいぶん
   これまでと態度が違うな。
  
  くるり
   だって、ご隠居は本当は、
   とっても人格の高い人だということが、
   だんだんわかってきたんだもの。
 
  ぼた衛門
   ばか者!
   人によって態度を変えるとは何事だ。
  
  くるり
   社会的地位を見て態度を変えるならともかく、
   人格だったら高い人には尊敬を、
   低い人には軽蔑を表してもいいと思うんだけど。
  
  ぼた衛門
   ばか者!
   軽蔑という行為は、
   相手を自分より低く見てるからできる。
   つまり、自分を上に見ているということだ。
   そんな驕りの根拠は、どこにある。
  
  くるり
   自分は、絶対その人みたいにならない、
   その人みたいなことはしない、
   という自信、確信にある。
  
  ぼた衛門
   だからって、驕る必要があるのか?
   そうやって人を軽蔑した人が、
   自分が同じ立場になったら、
   その人と同じことをしてる、というのはよくある話。
   人間に絶対はない。
   その立場になってみないとわからないんだ。
   仮に、自分は絶対そうならないとわかっていることだって、
   人を軽蔑する理由にはならん。
  
  くるり
   確かに、軽蔑する行為は、
   立派なものではないけれど、
   それは、身分差別、人種差別みたいな、
   意味のないことで蔑視する場合で、
   蔑視されるに値することした場合は、
   当然のことでしょう。
   そうやって蔑視されるようになってしまうことが、
   屈辱的なことだからこそ、
   人様から軽蔑されるようなことはしない、
   って気持ちにもなれるんだし。
   ご隠居の言い方では、
   軽蔑されるようなことをした人間が悪いのでなくて、
   軽蔑した人間のほうが一方的に悪い、
   ってことにもなりかねない。
   
  ぼた衛門
   だからばか者だと言うんじゃ。
   人が人を軽蔑する時、その人のためを思ってするのか?
   そんなことはなかろう。
   だから、軽蔑を受けた人間は、
   反省して前向きな気持ちになるより、
   さらに後ろ向きになってしまうほうが多い。  
   軽蔑は、自分のほうが上だと認識する、
   自己満足の行為に過ぎんのじゃ。
    
  くるり
   そういうご隠居だって、
   さっきから、
   人のこと、ばか者、ばか者って言い続けてるよ。
   ということは、
   自分のほうが利口だと思ってることでしょ。
   やっぱりさほどの人格者ではないってことだね。
  
  ぼた衛門
   あたりまえじゃ。
   わしは、まだまだ人格者には程遠い。
   くるりをばか者よばわりすることは、
   わしのほうが利口だと言ってることになる。
   だが、実際には、くるりのほうが、
   わしより上のこともある(と思う。)
  
  くるり
   なぜに、会話にかっこ書きが登場する。
  
  ぼた衛門
   そんなわしを、
   くるりは、「やっぱり人格者じゃない」と言ったように、
   人をけなすことで、自分が優位に立つということは、
   むしろ逆に自分を貶める行為なんだ。
  
  くるり
   ご、ご隠居…。
   そのことを教えてくださるために、
   わざと私のことを、
   ばか者、ばか者って、
   言い続けたのですね。
  
  ぼた衛門
   そんなことはない。
   本気で言ったまでじゃ。
  
  くるり
   このじっさま、
   謙虚なのか、
   ひねくれてるのか、
   いずれにしろ、
   煮ても焼いてもくえないことには変わりないのね。
   
  ぼた衛門  
   相手を軽蔑することは、
   ただけなしてるだけに過ぎん。
   軽蔑を受けたほうが、
   自分を軽蔑している人間に、
   なかなか素直になれんのも当然だ。
  
  くるり
   確かに、ご隠居にばか者扱いされるだけなら、
   素直に、
   「私は馬鹿です、反省します。」
   という気にはなれない。
  
  ぼた衛門
   それは、わしがおまえより上だ、という形で、
   言ってるからだ。
   そうなると、たとえ正論であっても、
   なかなか受け付けない。
  
  くるり
   暗に、正論と言いたいようで?
  
  ぼた衛門
   ほら、素直に受け入れられぬじゃろ。
   受け入れるには、 
   そこに心を感じなくてはだめだ。
   
  くるり
   じゃあ、心が感じられるように言ってください。
  
  ぼた衛門
   たとえば、おまえが、
   木に登って、枝を揺らして遊んでいるとする。
  
  くるり
   私は猿か。
  
  ぼた衛門
   おまえの重さから言って、それはかなり危ないことだ。
  
  くるり
   私は軽いから大丈夫です!
  
  ぼた衛門
   そう言って逆らうおまえに対し、
   「そんなことしてると、落ちるぞ。」
   と言った後に、
   「やっぱりおまえは、救いようのない馬鹿だな。」と
   あざけったら、おまえは、
   ますます降りる気をなくすだろう。
  
  くるり
   たとえ、降りようかと思っていても、
   降りたくなくなる。
   だって、そこで降りたら、
   敗北感を味わって、惨めな気持ちになってしまうもの。
  
  ぼた衛門
   そうしてついに落ちる。
   おまえを軽蔑するわしなら、
   「それ見たことか、
    だからやめろと言ったろう。」となる。
   そして、やっぱり自分のほうが、
   優れた人間だと優位を感じ、
   おまえはますます惨めでくやしい気分になる。
   軽蔑というのは、
   そういうもんに過ぎんのじゃ。
  
  くるり
   私は、降りても、降りなくても、
   惨めさの中に追い込まれてしまうんだ。
   でも、はたから見れば、
   自業自得の結果ということになるから、
   同情もされない。
   でも、ご隠居は、
   軽蔑という行為をしているにもかかわらず、
   正論を言ってることで、
   正しい人ということになる。
   
  ぼた衛門
   そうだ。 
   もし、わしが本気でおまえのことを思う心があるなら、
   たとえ、馬鹿だと思ったにしても、
   けなすことより、
   おまえを降ろさせることが重要となる。  
   そうなると、当然言い方が変わる。
   「おまえの重さに、その枝は耐え切れん。
    早く降りろ!怪我したらどうするんだ!」
  
  くるり
   言い方が変わっても、
   やっぱり意地でも降りたくなくなるんですけど…。
  
  ぼた衛門
   そして落ちる。
   でも、その場合、
   「それ見たことか。だからやめろと言ったろう。」
   という言葉よりも、
   「大丈夫か、怪我はないか?」
   と、まずおまえを気遣う言葉が出るはずだ。
   そういう人の心を感じたときに、初めて、
   自分の心も素直になって、
   馬鹿なことをしたということを受け入れる。
   
  くるり
   なんか、ひっかかる例えなんだけど、
   とにかく、人の欠点を悪く言うのは、
   その人のためというより、
   自分の心が満足するためという要素が強いんだね。
  
  ぼた衛門
   自分が優位に立てるのだから、
   ある種の快感がある。
   だから、心の中に鬱積するものが多いほど、
   そういった行為も激しくなる。
  
  くるり
   そういえば、穏やかな気持ちならば、
   悪いことをした人を、
   軽蔑したり非難するより、
   どうして、この人はそんなことしたのか、
   ってほうに目がいくね。
   そして、そういう考え方のできる人って、
   人格が高い。
   ということは、
   人格者になることは、
   平穏な気持ちでいられることでもあるんだね。
  
  ぼた衛門
   そうじゃ。
   人を貶める必要性を感じないほど、
   自分を確立してるから、
   人を尊重できる余裕も生まれてくるんだ。
   人を軽蔑、非難して、
   自分のほうがまともだということで喜びを感じるよりも、
   そんなことをする必要のない人間になったほうが、
   よっぽど幸せで楽しい気持ちでいられる。
  
  くるり
   自分の心のためには、
   鬱積したものを発散させることより、
   発散させるものがない状態にするほうが大切なこと。
   といっても、それが簡単にできないから、
   なかなか人格者にはなれないんだけどね。
  
  ぼた衛門
   さっきも言ったが、
   人を軽蔑すれば、
   自然と自分のほうがまともだということになる。
   だから、心地よい。
   しかも、その人が、本当に悪いことしてるとあらば、
   正々堂々と悪く言える。
   だがその思いが、
   ただの軽蔑や非難だけで終わるものなら、
   自分の鬱積した思いを、
   隠れ蓑に包んで開放してる面があることも、
   意識しておくことだ。
  
  くるり
   じゃあ、軽蔑する人に、
   逆に感謝しろということに?
   でも、もし心の鬱積の原因が、
   その人にあった場合は、
   軽蔑することでお返ししてるようなもので、
   お互いさまだよ。
  
  ぼた衛門
   それならなおさら、
   相手を軽蔑したり、非難したりだけでは、
   なんの解決にもならんじゃないか。
   なぜ軽蔑されるようなことをする人になったのか、
   という目線で見ることが、
   自分の心に鬱積したものをためない秘訣であり、
   相手に心を見せることにもなる。
  
  くるり
   そうして、自然と人格者になっていくんだね。
   でも、ひどい人がいると、
   つい言いたくなるんだよね。
   やっぱり人格者の域にいくのは、
   大変そうだ。
   
  ぼた衛門
   すぐにできなくても、
   そういったことを頭に入れておいて、
   自分なりにできることから、
   やっていけば、
   徐々に変わっていくもんじゃ。
  
  くるり
   じゃあ、まず初歩の初歩として、
   つい軽蔑や非難をしたくなったら、
   せめて、名指しですることはやめて、
   抽象的に考えるようにしてみようかな。
  
  ぼた衛門 
   たとえば?
  
  くるり
   人格は高いが性格が悪い人、というのはありえない、
   と思ってたけど、
   中にはそうでない人もいるらしい。
  
  ぼた衛門
   誰の顔見て言っている。
   言葉は抽象的でも、視線が思いっきり具体的になっとるわい。 
  



   
 (発行マガジンより、本文のみ掲載しております。)


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