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あっぱれ長屋の江戸っ子たちと現代人くるりのドタバタ人生談義

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                 あっぱれ長屋のプラス話 第47号   

                 〜痛みを感じるのは治すため〜          
                                    2005. 5. 24    

 
  

  くるり
   みなさん、こんにちは。
   今日のお江戸あっぱれ長屋のお客さまは、
   噺家のもへじさんです。
   ちょっとお久しぶりだね。
  
  もへじ
   そうかもな。
   なにせ、あっしは売れっ子噺家だから。
  
  くるり
   「自称」が抜けてるよ。
  
  もへじ
   何を言うか。
   あっしの噺を聞いたお客は、
   みんな笑ってくれるぞ。
  
  くるり
   鼻で笑っちゃうんでしょ。
  
  もへじ
   うめえこと言うな。
  
  くるり
   感心していて、どうするよ。  
   そんなんじゃ、途中で帰られたりしてるんじゃないの?
  
  もへじ
   大丈夫だ。
   他の噺家もいるしな。

  くるり
   そういう問題じゃないって。
  
  もへじ 
   あのな、あっしの名誉のために言うけどな、
   あっしだって、芸人のはしくれ、
   そんなお客は、たまにしかいないぞ。
  
  くるり
   たまにでもいるんかい。
    
  もへじ  
   でもな、たとえば、100人のお客がいるとする。
   そのうち、1人がつまらねえと席を立ったとしても、
   残りの99人が、おもしろいって笑ってくれれば、
   それもありだ。
  
  くるり
   そんな心構えじゃ、だめでしょう。
  
  もへじ
   そうなんだ。
  
  くるり
   どっちだよ。
  
  もへじ
   以前、おふく婆さんが、
   人間は、いいことには鈍感だが、
   悪いことには敏感だみたいなこと言ってたろ。
   1人のことを気にするあまり、
   喜んで聞いてくれている99人のお客さんに
   目がいかなくなってしまうのも、同じことだよ。

  くるり
   そういうことか。
   高座にあがってる最中は、とにかく99人に全力投球して、
   後でくよくよすると。
    
  もへじ
   せめて、反省って言わねえか。 
   確かに、本音としては、
   1人でも帰ってしまった客がいたら、
   それが気にならねえと言ったら嘘だ。
   むしろ、気にしなくてはだめだし、
   もちろん、傷つきもする。
  
  くるり
   それが普通だよね。
  
  もへじ
   でも、そういうふうに感じるのは、
   くよくよするためではなく、
   問題に対処するためじゃねえか。
   落ち込んでる場合じゃねえやな。  
  
  くるり
   理屈としてはそうだけど。
  
  もへじ   
   99人の支持があっても、
   1人に受け入れられないことが気になるように、
   人間が、そうやって悪いところには、
   すぐ目が行くようにできてるのは、
   痛みを感じて、治すためなんだ。
   病気だって、痛みを感じたら、
   本気で治す気になる。
   怪我でも、痛みが大きいほど、
   きちんとした手当てをするだろ。
   問題に対処する原動力を出すためには、
   痛みを感じることが必要なんだな。
   そのための痛みなのに、
   その痛みにうちひしがれてしまうことが、いかに多いか。
  
  くるり
   だって、人間、そんなに強くないもの。
  
  もへじ
   だからこそ、その痛みは、
   無理に我慢するこたあねえのよ。
   落ち込むのも、泣くのも、あたりめえの現象だ。
   それに、痛みに強くないんだから、
   とっとと手放せばいいのに、
   その痛みを後生大事に抱えたままに、
   しちまうからいけねえの。
  
  くるり
   いけねえのったって、
   どうやって治すのかが、問題なんだよ。
  
  もへじ
   悪いことは、いいことの種なんだ。
   だから、「禍い転じて福となす」にしちまうことが治療法。
   たとえば、出て行ってしまったお客がいたことで、
   傷つき、噺家を続ける自信もなくしてしまったとしよう。
  
  くるり
   その前に、金返せーって言われるかもよ。
  
  もへじ
   うるせえよ。
   で、そこで落ち込んで、あきらめちまうのが、
   よくある流れだ。
   でも、そうしたら、
   それは、一生思い出したくない、心の痛む出来事のままだ。
   おまけに、夢まで捨てちまうことになる。
   だけど、その痛みを原動力に、稽古に励めば、
   何もなかったときとは、上達がかなり違ってくる。
   あの時のことが、今の私を作りましたってことになれば、
   もはや、それも悪夢のような出来事どころか、
   いい思い出になるだろ。
   
  くるり
   まあ、理屈としては理解できるけど、
   人の苦悩って、千差万別だから、
   そう単純にいかないこともあるでしょ。
  
  もへじ
   でも、痛みにうちひしがれたままだったら、
   悪いことのままなのは全部同じなんだよ。
   そりゃ、悪いこと自体は、自分の意思ではどうにもならない。
   だが、その後の展開は、自分次第で変えられるんだ。
   痛みのままにしとけば、自分もつらいだけ。
   どうしたら、いいことに変えられるのかと考えてみるだけでも、
   もう気持ちは、前向きになってるじゃねえの。
  
  くるり
   確かに、そういうことを頭に入れとくだけでも、
   だいぶ違ってくるかもね。
   でも、落ち込んでしまうと、
   その変え方が、むずかしい。
  
  もへじ
   あっしだって、落ち込むときはある。
   それでも、なぜここまで続けられてきたかというとだな、
   これも、うなだれることから始まる。
   うなだれると、これまでしてきた努力に、目が行く。
   「あー、あっしは、人に喜んでもらいたい一心で、
    夢を追って、こんなに頑張ってるのに、
    なぜだめなんだ。
    ひょっとして、無駄なことしてるのかな。」 
   と、なるな。
   そこから、どうなるかだ。
   考えてみな。 
  
  くるり 
   うーんとね、
   これまでの努力を見つめて、
   「よし、これまでのこの努力はなかったものにして、
   心機一転、また一から出直そう!」
   と思う。
  
  もへじ
   お願い!
   私のこれまでの努力を、
   なかったものにしないでちょーだい!
  
  くるり
   なにも、おかまにならなくても…。
   じゃあどうするの?
  
  もへじ
   前に、どう造が作ったへっぽこ話を応用すればいいんだよ。
   「あるものを見てると、幸せになる。
    ないものを見てると、不幸になる。」
   みたいなことを、語ってたろう。
  
  くるり
   どう造さんの作った兄弟の話だね。 
   それをどうやって、応用するの?
  
  もへじ
   「こんなに頑張ってるのに、だめなのか」って思うのは、
   「こんなに頑張ってる」事実ではなくて、
   まだ決まってない「だめなのか」を、
   見ちまってるんだ。
  
  くるり
   ほーほー。
  
  もへじ
   おめえは、ふくろうか。
   反対に、「こんなに頑張ってる」事実に目をやれば、
   あるものを見ている状態になる。
   そうなると、
   「そうだ、これまでも、こんなに頑張ってこれたんだ。
    だから、大丈夫!」
   って、目線が上がるんだよ。
  
  くるり
   そうか。
   「これまでの努力をなかったものにして、
   一から出直す」
   って言うのは、
   まるで正反対だったんだ。
   だからって、おかまにならなくてもねえ。
  
  もへじ
   なにを、ぶつくさ言ってる。 
   もちろん、くるりの言うとおり、
   心機一転、出直すってやり方もあるけどな、
   相当、気合が入るまでに立ち直らねえと、
   そこまでは、すぐに考えられねえやな。
   どう造の話には、
   「今までのものもないがしろにしない」
   って、こともあったろ。
   それも、応用できるんだよ。
   まあ、そういうやり方もあるってこった。
  
  くるり
   そうか。
   あの尻切れとんぼのへっぽこ話は、 
   痛みを克服する時にも、応用できるんだ。
   でも、傷つくのも、
   実際にあることで、傷ついてしまうんだよ。
  
  もへじ
   だからこそ、それは、幸せの種の証拠なんだって。
   だから、痛みに耐えているばかりでは、
   意味がないんだよ。
   耐えてるということは、
   痛みも消えてないということだ。
   それでは、いつまでもつらいままだ。
 
  くるり
   「ずっと、このままで痛い」ということは、
   「ずっと、このままでいたい」って、
   状態になってしまってるからなんだね。

  もへじ
   くだらねえ駄洒落が、あっしよりうめえな。   
   
  くるり
   それって、ほめ言葉になるの? 
   でも、もへじさんは、そういう意味では、
   まだまだ痛みが足りないようだから、
   お客さんに、もっと続々と帰ってもらってもいいかもね。
  
  もへじ
   おっ、おめえ、心の臓が、
   ばくばくするようなこと言うな。
   夢見そうだ。
  
  くるり
   大丈夫だよ。
   もへじさんは、何人お客に立たれても、
   へこたれない噺家になれそうだから。 
  
  もへじ
   そんな次元で、極めてどうするよ。

  くるり
   冗談に決まってるじゃない。
   いくら、もへじさんがへたくそでも、
   そこまで、ひどくないよね。

  もへじ
   それも、ほめ言葉になるの?  


 (今日のお話に出てきた、バックナンバーはこちら。
  「第37号 有るものから有るものが生まれる」 )

  




 (発行マガジンより、若干手直しして本文のみ掲載しております。)


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